RIVALS EYE【第一節:金木犀の肌】

RIVALS EYEとは
ライバル達が熱いホンネをぶつけ合う
30リーグ2025参加団体による公式戦の観戦レポートです
今回は第一節『ルイボスティーはバニラの味×夜に静か』を
金木犀の肌がレポート
はたしてライバルはこの試合をどう観たのか?

ルイボスティーはバニラの味『ふらい ふらい あうぇい』
つい最近、「マクドに一番似合うのは女子高生やんな」という話を友人としたばかりだ。その友人は「いや……男子高校生もめっちゃ似合うで......」と真剣に考え込んでいた。なんにせよ、マクドナルドと高校生は、春と桜くらいマッチしている。
そんな安定間違いなしの組み合わせの中に、「羽が生えたおじいちゃん」とかいう衝撃的なファンタジーが入り込む。マクド、女子高生、羽が生えたおじいちゃん。安定と不安のマリアージュ。
だが、そんな日常と非日常を、完全に劇的に描くのではなく、どこかシームレスに描くのが「ルイボスティーはバニラの味」のやり方なのかもしれない。非日常の差し込まれ方は、突然なようでいてナチュラルでもあり、その接続のさせ方が唯一無二で魅力的。
ただ、私の好みとしては、エンタメチックで大きめな演技体ではなく、ダウナーでリアルな会話劇的演技体で見てみたかったかもしれない。客席に向かって開かれた親切な演技・演出にも魅力があったが、個人的には、閉ざされた会話を盗み見るような、それこそ、マクドナルドで隣に座った女子高生たちの会話をこっそり盗み聞きしてしまっているような、そんな観劇体験もしてみたかったと、ふと思う。そんな演技・演出であったならば、俳優の身体と脚本がどこか分離してしまっているような印象だったいくつかの箇所も、上手く馴染み合ったかもしれない。
日常と非日常をシームレスに接続させる「ルイボスティーはバニラの味」だからこそ、よりシンプルな演技体のほうが、その唯一無二の魅力をよりいっそう際立たせられるんじゃないだろうか。
夜に静か『終演挨拶』
リフレインされるセリフ・シーンと、劇的な音響・照明が印象的な作品だった。初めはとっつきづらさを覚えるが、次第に、この独白する男の背景が見えてきて、すると自然に、この男の内面までもが垣間見えてくる。以下、私の妄想。
この男は普段、立派そうに振る舞っているんじゃないだろうか。そういう演出家を、私はたくさん知っている。そしてそれでいて、この男は本来、とても小心なんじゃないだろうか。そういう演出家を、私は、たくさん知っている。この男と一緒に呑むコーヒーは美味そうだが、この男と一緒に作る稽古場は、互いに傷つけ合うことが多くなってしまって大変そうだ。以上、私の妄想。
こんなことまで考えてしまうくらい、演劇人にとっては、「必然的に冷静には見られない」作品だった気がする。特に、「上演中止」「降板」「ハラスメント」、そんな言葉に敏感な演劇人ならば、なおさらだ。この必然性が、作品としてよいことなのか、悪いことなのかは、わからない。
この作品には、「作品としてよいことなのか悪いことなのかわからない」という部分が多かったような気がする。たとえば、音響。私にとっては、「ともすれば陳腐すぎるくらいに荘厳」だと感じられた。そしてそれが、いい音響なのか、効果的でない音響なのか、なんとも判断しづらかった。しかし、「効果的なのか、効果的でないのか、判断しづらい」というそのこと自体が、この独白する男のナルシズム性、自己陶酔、客観性の欠如、強大な主観と他者を拒む臆病さ、そんなものの演出として、大きな効果を生んでいたように思われる。私は、この作品が好きだ。なぜなら、そこで、人が確かに生きていたから。
ただ、願わくば、この作品にだれか他者の目が介在していたならば、と思う。演出家もしくは俳優を、信頼できるだれかに任せていたならば、この作品はきっともっと、真に迫る迫力を纏えたんじゃないだろうか。強い思いのこもった作品だからこそ、他者との関わりや他者の視点を取り入れて、より広く、より強固になったバージョンを、ぜひ見てみたいと思った。
青草猫(金木犀の肌)