RIVALS EYE【第二節:夜に静か】

2025年05月03日

RIVALS EYEとは

ライバル達が熱いホンネをぶつけ合う

30リーグ2025参加団体による公式戦の観戦レポートです

今回は第二節『うーめい×8プロ』を

夜に静かがレポート

はたしてライバルはこの試合をどう観たのか?

うーめい『多分、日常。』

◇「気になるあの娘」︎

◇「鼻水に関する討論」。近代的な女子学生、ふわふわした空気感を抱える女子学生の特権とは、物事を思わぬ所から解体する力。ただし情熱と運が重ならない時、言葉は解体されるに至らない。この手の討論は何度も行われてきた事だろう。︎

◇環境音、シチュエーション、音の聞こえに関するエトセトラが、お約束ごとで処理しきれない部分があるように思えた。「下手の方を二人で見た後上手に座る女の子が回答を思いついて話しかける」「入場した女の子の立ち位置」「3人組の言葉がTikTokをする少女らの耳に届かない部分」「照明の影」は芝居と言うよりも(この作品の根底を支えるリズムに回収されると言うよりも)、進行の都合、定番の状況でそうやって進むには、確信を持つ所まで進んでいない気がして、劇の進行とは違う部分の意味に意識が向かってしまった。演出として表現として芝居として、不条理な面、この登場人物たち特有の関係性と言葉と感情、そして際立って如何にも舞台的な嘘、そして現実的な所を強く想起させるメッセージ性などがより意識的に描かれていたとしたら、より作品に惹き込まれる(バランス加減は難しい)。︎

◇「おしゃぶり」はよかった。非日常へと繋げるアイテムで、然しこう言った事は現代、寧ろ日常に卑近する部分に有ると感じているからこそ、多分日常に収まる。カワイイに騙されるな、と誰かが言った。優しさに騙されるなとも。カワイサ、ヤサシサの裏に隠された悪。「言葉の言い換え」によって例えば違法薬物に手を出す事が容易な場所はあるだろう。援助交際がいつしかパパ活と呼ばれるようになったように。︎

◇印象に残った役者さんについて書く。るみ役の天希さんは役をより引き立たせるお芝居をされていて、劇作をしっかりとリードされていたように思った。かれん役の有本さんは感情表現が凄く、特に涙を流すシーンは引き込まれた。著しく感動したい為、この役者さんが別作品でその感情を用いる姿を見たいと思った。流れと関係なく、個の力でその人に目を向けさせる事が出来る力を持つ俳優さんだと思った。二役演じていた伏井さんは手脚の長さ、身体表現の力に眼が向く。板の上の重力、平衡感覚を変えられる力が有るように思われた。ただ今回の作品においては、ゲスト的な登場の仕方では有るが、その力の片鱗を見せるだけに留まり、発揮して、より劇作を回転させる所までは行っていなかったように感じた。勿体無く思った。

◇総評

「多分、日常。」と思える作品。嘗て女子学生になり得た存在となり得る事ができなかった人とではやはり、この作品を解釈するのにも限界が有る。登場人物の関係性は勿論ではあるが、其々の空気感、ふわふわであったりなどの、それを如何に板の上で、劇で消化して、核の部分に回収されていくのか、そして更にその先に行くのか。観客として、ただふんわりと、おもしろおかしい、よくわからんけど、みたいな事を思い、書くのは簡単だが、そうではない部分に、切実で、真剣なこの劇世界の行末について思考しながら観劇、劇の評に思いを巡らせた。非日常へなど、実は簡単に脚を運べる。劇中で起こらなかったエトセトラは時に最も簡単に発生する、発生しているだろう。親が死んだり、受験に失敗したり、病んだり、強盗にあったり。そう言う危機が裏に眠りながら、それでも多分、日常。と語れる、その力強さと、弱さ。をどう汲み取るのか。私はただ、そう言うものもあるだろうがさて、自分は自分のエリアで考え事しようかな。そう言うスタンスで、距離を置いて、ぼんやりと考えていくことにする。それが私にとっての、日常であるから。


8プロ『ノブナガアベンジャーズ』

◇面白い作品でした。︎

◇あらすじ、宣伝の時点で笑ってしまう設定。︎

◇テキストは固く、想像以上に実は硬派(?)に進んでいく。けれどアイデア、その処理がユニークで笑える。︎

◇中盤以降の盛り上がりが凄い。比較すると序盤は派手な部分、ユニークな部分、硬派な部分がありながらも、もう少し盛り上がれたように感じた。︎

◇始まりのシーン、環境音の刀の音が、俳優のセリフと被り、残念に思った。俳優の声の大きさなどはコレでいいと感じたので、途中で環境音を絞る、F.Oするなどでもよかった気がする。信長のかっこいいセリフをもっと堪能したいと思った為。︎

◇アクション、衣装などで、劇場のサイズ感と合っていて、雰囲気とマッチしていて、非常に見やすい劇だった。どういう種類の劇をするにしろ、此処を意識して、その距離感を巧く駆使して作劇しなければ、ミスマッチを繰り返すしかないのだろうと感じた。特に今までこの劇場で見た全ての劇で、袖のパネルが壁にしか思えなかったが、今回の劇ではその向こうにある建物自体の壁を意識した空間の使い方をしているように感じ、勉強になった。そしてソレを感じた時、この劇は成功して居ると感じた。︎

◇「色々なノブナガで溢れかえり、最早塵のように溢れかえり、だからこそ、その全てを断つ」のようなセリフに凄く共感しました。此処にこの作品の意味、批評性が有る。自分は演劇という観点に対して、新しい視点として、あ、そうやねと思えました。「色々な演劇、芝居が溢れかえり、だからこそ、全部壊して、否定して、自分らだけで、自分だけの作品こそ、最上」みたいな。コレは現代の表現、言葉だと思いました。コレを聴けてよかった。様々なノブナガが登場しながら、格闘、言葉を繰り広げるその様は、演劇、そしてこの世界そのものの全てにつながる表現に感じました。可愛くても、性転換しても、カッコ良くても、シリアスであっても、なんだって良い。カオスでも、カオスのまま、生きて行ける。まさか、この作品でそんな表現が見られるとは想像していなかったので、凄く嬉しかったです。そして、ノブナガはまだ死んでいない。ノブナガの想いはまだこの時代に生きて居る。だからこそ汲み取りながら闘う。終わった事ではない。勝つ事だって可能だ。それは過去を自分勝手に塗り替えて、歴史を都合よく修正する意味ではなく。そう言った歴史や今について、どう扱って生きていくのかという点でも新しい視点に気づくことが出来ました。︎

◇30分とは思えなかった。40数分、50分ほどの作品に思える時間的密度。︎

◇総評

秀逸な作品。よい演劇の特徴として批評性が有るとすれば、この作品には存在した。劇場にマッチした、劇場が歓喜する質の作品であったと思う。この劇と比較しながら、自身の作品を如何に構成するのか、考えてみる事にする。劇場に意味を齎さなければ、作品は成立しないから。


【公演総評】
ソロユニットとして如何に劇作を構成するのかという点に関心の行く公演だった。両団体さんとも作演である代表の方が出演する作品で、出演もこなしながら作品を如何に仕上げていくかの点で違いがより見えた。「うーめい」さんはゲスト的に出演する形では有りながら、他の俳優陣と比較すると、俳優のポテンシャルをより解放、若しくは絞った方が劇作により効果を及ぼすように感じた。一方「8プロ」さんは何事においてもバランスが良く、いい按配で処理されていたように感じた。もしも勝敗を分けた点があるとすれば、私はこの部分にあると思う。

容原静(夜に静か)

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