RIVALS EYE【第四節:ルイボスティーはバニラの味】

2025年07月04日

RIVALS EYEとは

ライバル達が熱いホンネをぶつけ合う

30リーグ2025参加団体による公式戦の観戦レポートです

今回は第四節

『金木犀の肌×うーめい』

ルイボスティーはバニラの味がレポート

はたしてライバルはこの試合をどう観たのか?

金木犀の肌『はんぺん』

劇場を出た後に色々考えるような芝居で、正直大好物だった。
男が何かを生もうとしている。
その男はどうやら長年引きこもりらしい。
いま私たちが生きている社会では、コスパ、タイパが重視され、「価値」を生み出せない人間は必要ないと見なされる。
その「価値」は特に、資本主義的な意味での「価値」であり、要はカネになるかならないか、カネを生み出せるか、カネを使って資本主義社会を回しているか。そしてその営みに参加できない者は淘汰される。
男は淘汰された側で、その代わりにはんぺんを産み出す。はんぺんは軽くて食べやすい。軽くて食べやすいものはたくさんの人がおいしく食べられて、カネになりやすい。
はんぺんはきっとたくさんの人がたくさん消費するモノやコンテンツの象徴なのだろう。白くて、毒にも薬にもならない食べ物。栄養価もあまり高くなさそう(たぶん)。
現代社会に受け入れられなかった男が産み出したモノは現代社会がありがたがるモノの象徴なのが皮肉だ。
産むことに「価値」を見出してしまうと、それはすなわち産めない、産まない人が「無価値」であることを意味する。我々産む側である女が「女は産む道具である」という言論に抵抗し続けてきたはずなのに、「男は子供を産めないから価値がない」と反論した時点で「女は産む道具」を遠回しに肯定することになる。皮肉だ。
この物語にはそういった「産む性」/「産まない性」という二元論への疑問も提示されているように感じた。というか私が勝手に色々考えてここまで到達した。
はんぺんが生まれた瞬間の異様な空気。生まれたのは異物であり、異物を産んだ男もまた異物であるように思えるのに、それを祝福する姉。この2人の傍観者でありながら、2人の事情には耳を貸さずに自分の事情を一方的に語る傲慢さを持つ妹。それぞれの噛み合わなさがざらっとした不気味な心地を作り出す。
願わくは、妹が退場せずに舞台上にもっといてほしかった。資本主義社会に適応した妹が見ている世界は姉と兄が見ている世界とはまた違う世界だろう。その世界は作中で少し提示されていたものの、もっと深い部分を妹から聞くことができればこの物語はもっと遠くまで行ける気がする。


うーめい『えーじぇんとどーる』

まず、30分芝居で7人もの登場人物を登場させてそれぞれを余すところなく魅せているのがすごい。しかもみんなしっかりとキャラが立っていて面白い。
それはきっと台本に散りばめられた面白い言葉選びの数々から来るものだろう。なんでアウストラロピテクスなんだ?めちゃ面白い。
緊張してアウストラロピテクスしか言えなくなる男性が面白くて気の毒で愛おしい。ザッキーさんの演技が最高だった。
お人形役の宮野さんも本当にキュートでかわいくて、実際に買ってしまう魔力に説得力があった。仕草一つ一つがかわいすぎる。ただ、とても素敵だったからこそ、「人形」という人ならざるものを生身の役者が演じる難しさを感じた。小劇場の距離感で見る以上、どうしても「人形を演じている人間」に見えてしまい、「人間のようにリアルな人形」には見えないのだ。あくまでこの世界観を楽しめればよく、そこのリアルさが必要ないと言われればそれまでだが、そこがリアルでないと人形を介してでないと喋れないまさとの"異常さ"が減り、薄味になってしまうように感じる。人形であるにはセリフや演技が生き生きとしすぎているように感じた。
人形の演技の問題というより、周りの役者の人形の扱い方で見え方も変わるのかもしれない。人形が最初は台車に乗って来ていたのに劇中では自分で歩いている。ここで役者の演技のルールがすでに違っている。例えば人形自身が歩くのではなく人形を2人がかりで運ぶ、という仕草があるだけでも見え方が違う気がする。
演出上で気になるところは他にもあった。例えば井上の存在がゆうには見えているような距離感なのに、ゆうはまさとと井上の会話に対して「誰と喋ってんの?」と問う。「もしかして井上はまさと以外に見えない?」などと邪推していると、おぬうさんと井上はコミュニケーションが取れている。ここで混乱して集中が途切れる、ということがあった。
コミカルでとても面白いからこそ、この舞台上でのルールをしっかりわかりたい、理解したいと思った!

石﨑麻実(ルイボスティーはバニラの味)

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